トイレ、ノックしますか?
コンビニのトイレはセブンイレブン派です。
木目調の感じが好きです。
セブンイレブンの略しかたは、セブン派です。僕の周りの人たちは、セブイレ派、続いてセブイブ派です。
.
いまの世代は、親世代と比べると、ずいぶん便利でありがたい時代に暮らせています。昔には無かったものが、沢山あります。ありすぎるぐらい。そのなかで、ふと思ったのは、
省略されることで、
増えていく前提と、
忘れられる気配り。
.
こないだ車の運転中にトイレに行きたくなって、コンビニのトイレに駆け込みました。そのときにまず見たのは、取っ手の下。赤色になっていないかどうか。カギが閉まっているかどうかを確認して、閉まってなさそうだったので、安心して入りました。無意識に。ふと、もし誰か入ってたら、なんてことを考えました。
もしカギ閉め忘れた人が入っていたら、お互いに気まずかったし、逆もそうで、カギ閉め忘れたり、入ってすぐのタイミングで開けられたら、気まずい。
カギがついていたら、閉めるのが当たり前で、閉まってなかったら、入るのも当たり前。でも、忘れることだってあるのも当たり前。
.
ちょっと、こじつけなところもありますが、目に見えるカギという便利なモノがあるので、入るならカギは閉めて、待つ人は確認して入る。その前提が当たり前になっています。
でも、それでいいのかなと。
なんだか寂しい気がするのです。
トイレをノックするという、余裕やコミュニケーション、気配りみたいなのが、忘れられていくんじゃないかと。
ノックをして確認する余裕と気遣い、入っていたらノックを返すコミュニケーション、相互のことを思う気配り。
トイレをノックする行為だけを見ると、小さいことなんですが、他にも当てはめて言えることがあって。そういう小さいことを忘れてしまうが為に、足元にある大切なことやヒントを見失っていることがあると思います。
.
省略、効率化されることで
ああすればこうなる
みたいな事が当たり前になってしまって、
その隙間にあった無駄にも思えるような、
ゆとりの中ある、ためになること
が忘れられがちですが、
もっと大切にしていきたいと思う、
トイレでした。
トイレの神さまありがとうございます!
.
最後まで読んでくださってありがとうございます。
◎先日のハイライト
いただいたお土産は、あんまり関係ない人が何も考えずに食べることが多くないですか。でも、お互いそうなることが薄々分かってるし、渡すことが重要だから、それでもいいのかとも思ったりします。
【比較的短いブログ】友達、家族は大切。
ブログ書くようになって、言葉の意味を調べることが増えました。なにげなく使い分けている言葉の意味を知ると、日本語はおもしろいです。
.
さて、月並みなことをタイトルでも言っていますが、
友達、家族はめちゃくちゃ大切。
昔からよく聞きましたが、ようやく意味が分かってきた気がします。
本当の友達とか本当の家族とか言うけれども、嘘の友達や嘘の家族はあんまりいないと思うんです。それだったら、良いときも悪いときも
友達なんだから当たり前でしょ、とか
私たちは家族なんだから、とか
お互いに言い合える人たちを、友達とか家族って言うんじゃないでしょうか。年齢の前後もあるでしょうから、兄弟とか仲間と言う場合もあるかもしれません。
会わなくても、ふと頭に浮かぶ人、
たまーに元気かな?と、気になる人、
みんなが呆れてても、ほっとけない人、
そんな人は、アナタにとって大切な
友達、家族、仲間だと思います。
.
そういう人たちは、他の人と何が違うのでしょうか。
ぼくは、
分かち合った時間の濃さ
だと思います。
その人の一面だけを知るのは簡単だと思います。その人が持つ、いろんな面を知ることは、すぐには出来ません。つらいことや嬉しいことを、その人と分かち合うことが出来れば、おのずと知ることができると思うのです。
友達、家族、仲間だと思える人たちとは、いろんな時間を過ごしてきたのではないでしょうか?その時は気付かなくても、あの時のあれがあったから、その時に一緒にいた人が、今の友達や仲間じゃないですか?
長さも比例するかもしれませんが、それだけじゃない何かを、分かち合った時間がいまのアナタをつくっていると思います。
.
友達、家族、仲間と連絡をとってみませんか?
ただ連絡するだけでも、良いと思います。
その仲間に思いを馳せるだけでも良いと思います。
仲間を思い出すことが、人生をより豊かにするキッカケにつながると信じています。
是非やってみてください!!!
.
こんなことを急に言うのにも理由があります。
それは、
ボヘミアンラプソディーを2回見たからです。(笑)
同じ映画を劇場で2回見たのは初めてなんですが、やっぱ2回めだから気付く、思うことがありました。ものっそい影響されやすいタイプです。(笑)
でも、今まで分かった気になっていたことを、
改めて考える機会になりました。
影響されやすいって、いい。(笑)
最後まで読んでくださってありがとうございます。
◎先日のハイライト
お歳暮とか年賀状を、わざわざ出してもらえるのは嬉しい。お年賀でも間に合いそうなうちに、お返しを。
期待すると疲れちゃう。でも、あえて期待してみる!
今日から仕事はじめの人も多いのではないでしょうか?元日からはたらいている人も、まだお休みの人も、おはこんにちばんは!今日も太陽と月がのぼっています!
新年の意気込みはいかがでしょうか?
意気込まなくとも、日々の暮らしをお過ごしでしょうか?
.
よしやるぞ! と気合いを入れた時に、うまくいかなかったら、へこみませんか?
理想を描いて、やる気になっている時に、小さなことでつまずくこと、ありませんか?
そんなことが続くと、もう何だかイヤになっちゃうことが多々あります。せっかく考えたのに、せっかく一生懸命やったのに、なんて時もぼくのなかでは同じ部類になります。そしてそういう時は、どっと疲れが出ます。だいたいいつも。
.
こういう時は、知らず知らずのうちに、自分や周りに対する期待値が高くなったり、理想の対価を想像したり、していることも多いです。ほぼ無意識にそうなっています。だから、疲れるし不満も出るし、イヤになっちゃう。
期待したり対価を求めると、現実との違いが大きいほど、イヤになっちゃう。
どうしたらプラスになるか考えてみました。
.
ぼくは、あえて期待する。
それは未来の自分に、です。
ただ、そのためには前提がありまして。
人のことを悪く言わない、
自分のやってきたことを無駄にしない、
そして楽しむ。
このへんが肝のような気がするんですが、完全なる正解でもないし、簡単なことでもない。あくまで個人的に思うことです。
イヤになっちゃうときに、人のせいにするのは誰でも出来るし楽だと思うんです。僕もよく、そういうことをします。でも、それでは誰も幸せになれなくなっちゃう。誰かが得して、自分が損してる気分になる時もあるかもしれませんが、それを悪く言ってしまうところには、自分の得や幸せはあんまりないと思うんです。
だからこそ、自分のやりたいことや、これまでやってきたことは無駄にするともったいない。せっかく良いことを考えたり、良いことをしていても、人を悪く言ったり、イヤになって無かったことにしてしまうと、本当に意味の無かったことになってしまう気がします。そこまでの積み重ねは、何か意味があるんだと思い続けることで、無駄にはならないと思います。
そして楽しむ。そういう過程を楽しむ。そこから努力していくことを楽しむ。ことあるごとに笑い飛ばして楽しむ。人生の今は、今しかないから、何とか楽しむ。未来を楽しみにする。
人生の先が短く思えても、未来に期待したい。
たった1日、1時間、1秒でも人生が変わることだってあります。未来のどこかに、このうえない幸せがあるかもしれない。
この努力をすれば、こう報われる。 なんて100%じゃないし、そうならないことも多い。ひょんなことから思ってもない方向から報われることだってある。
だから腐らずに、未来に期待して楽しめるような人間になっていきたい!
そのために、胸を張れることを積み重ねていきたい!と思っています!
.
まだまだ出来てないことも沢山ありますが、千里の道も一歩から。まずは一歩ずついきたいと思います。
あ、イヤになっちゃうことがあったら是非おしえてください!解決できるかはわからないけど、話を聞くことはできます!誰にも言わなくて、何だかモヤモヤすることがあればおしえてください!
最後まで読んでくださってありがとうございます。
◎先日のハイライト
おもちのような粘り強さもほしい。(欲張り)
2019年!めでたい!不安とモヤモヤのなかで。
新年明けましておめでとうございます!
今年もどうぞよろしくお願いいたしますm(__)m
また新たな年をむかえられた喜びを、人生で一番しっぽり感じられています。(笑)
.
2019年、最初のブログになりました。新年の最初の一歩めは、どうあれ大切な一歩になります。しかし、しっくりくる書き出しが、なかなか思いつきません。特にこの年末年始は例年よりも、ココロとアタマとカラダが一つになっていない気がすることが多かったのです。
アタマとカラダとココロが一つになる、ということを仮に考えると、
ココロで思う考えかた、なんとなく持っている正義みたいなものと、
アタマのなかで自分の動きや自分以外のヒト、モノに対してどうすれば良いのかと考えたことが、
カラダの動きに反映され、うまくいった状態。
それらが全部バラバラだと、なんだかスッキリしないことが多いし、逆も然りで、一致してくるとスッキリした気持ちになります。
.
そのスッキリしない状態が、続いていた気がすることに気付いたのは、今。ブログを書こうとしたときです。でも、それが分かっただけで心がちょっと落ち着きました。モヤモヤしてるときは、そういう状態のときも多いかもしれません。
次に、なんでそうなっているのかを考えると、またモヤモヤしてきました。(笑) ですが、なんとか乗り越えたいので、ここはちょっと限界突破のつもりで考えてみました。
頭をちょっとずつ整理整頓して思ったのは、
去年は特に、自分の知らなかった分野、わからなかった分野について、今までよりも知るキッカケが増えました。そしてその分、ココロとアタマの情報量がいっぱいいっぱいになりかけていました。仕事もプライベートも慌ただしく過ぎていっていました。
その状態は、肉体的にも精神的にもエネルギーが必要になるのですが、それはそれで嫌いじゃないところもあったり、
でもそれで、見失ってる部分があるんじゃないかと不安にもなったり。
そういう繰り返しから、自分のなかで、なかなか落ち着く時間がありませんでした。
.
今でも、自分のなかで落ち着いた状態をつくることが、あまり出来ていません。
しかし、じっとアタマで考えていてもしんどい。
どちらかというと、カラダを動かしているほうが、案外ヒントを得たりすると思っています。
じっとその場にいても気付けなかったことが、一歩でも動いて違う角度から見ると気付けることだってあると思うんです。
もう少し落ち着いた状態をつくるために、あえて、荒削りでもチャレンジして、前進する。その積み重ねてをしていきたい。そのなかで、情報の整理や取捨選択をするための選択肢を増やしていきたいと思っています。
.
今年の目標はまた別でありますが、新年をむかえた今の心境を、まず書き残していこうと思って書いてみました。
まだまだ荒削りで進んでいきますが、ココロ優しい皆さま、どうぞ温かい目で見守ってくださいm(__)m
そして応援も是非してください。(笑)
そんな私ですが、2019年もどうぞお願いします!
最後まで読んでくださってありがとうございます!
◎先日のハイライト
年末に収穫したゆず。こんな立派なお役に立てることができました。うれしい!
ゆく年くる年。2018-2019に思う。
いよいよ2018年が終わり、2019年が始まろうとしています。年越しをするのは初めてではないけど、初めてちゃんと思ったことがありました。
.
みなさま、年末年始はいかがお過ごしでしょうか?
年内の仕事が終わり休暇に入っている人、最後の最後まで仕事がある人、年明けからバタバタする人、寝正月の人などなど。いろいろあると思います。
ぼくもいろんな年越しを経験しました。野球ばっかりしていた年、家の手伝いもたいしてせずダラダラしていた年、ここぞとばかりにバイトしていた年などなど。毎年欠かさずしていることはいくつかありますが、今のところ全く同じ年はなさそうです。
ゆっくりでも、いそがしくても、その日がきたら年が変わります。家にいても仕事をしてても、何故か他人をうらやむ人は多くないですか?(笑) こっちはずっと仕事があるだとか、実家は実家でいそがしいだとか。(笑)
でもまあ、どんな年もどんな人もあるわけです。
で、今年初めて思ったことは、
無事に年越しを迎えられるのは、
嬉しいこと
だと言うことです。
今のところは毎年健康に12月31日を迎えて、年越しソバを食べています。そして1月1日の早朝に起きて初詣。何度か「どうせ1日変わっただけ」と思っていた年もありましたが、一つの区切りを無事に迎えることができる。ということに感謝です。
年末に災難があっても、年の初めに災難があっても、どちらもつらいですよね。その年はその年で気付けることもありますが、やはり何事もなく過ごすことができる喜びを、しっかり噛みしめたいなと思います。
もう一度おたずねします。
みなさま、年末年始はいかがお過ごしでしょうか?
いそがしくても、何事もなく無事に年越しを迎えられる喜びを感じられますように。大変ななか年越しを迎えられる人には、少しでも心安らぐ時間がおとずれますように。
あなたのことですよ!
会えなくても思っています!
.
今年もありがとうございましたm(__)m
そして、よいお年をお迎えください!
最後まで読んでくださってありがとうございます。
心から「よいお年を」と言えるときには、なんだかジーンときますね。
※ブログは更新するかもしれないし、しないかもしれないです。
◎先日のハイライト
つきだしの、豆のスープです。
いや、つきだしの、豆のスープて!
こちらはガソリンスタンド併設のお店。
かなりおすすめです。
必要なもの。必要以上のもの。
いよいよ本格派に寒くなってきましたね!
冬です!
街ゆくみんなも寒そう!
ぼくの住む地域も雪がチラつく日がありました。
そんな寒い時期が旬のお話。
今ぼくが住んでいる家の庭に、ゆずの木があります。引っ越してきてすぐの5月は生い茂りすぎて、ゆずだと知らずバッサリ枝を切ってしまっていました。その年の冬に、ご近所さんが「あそこはゆずが成るねんでー。」と教えてもらって初めて知りました。でも、切りすぎたが故に、全然成りませんでした。必要な枝をバッサリ切っていました。
それから逆になにもせず、二年が経った今年。見事にたくさんのゆずが成りました。
(写真は横向きになっています。失敗。)
ゆずの木って、何年で実を付けるか知っていますか?かの有名な「桃栗三年柿八年」という言葉は知っていました。柿は八年もかかるんですね。今23歳の人が31歳になる頃にやっと実がつく計算(わかりにくい)。
そして、この言葉には続きがあります。
「桃栗三年柿八年、ゆずの大馬鹿十八年」
ゆずは十八年です。今23歳の人が41歳になる頃に実がつく計算になります。それだけの年月をかけて育っているのを知ると、すごく尊く見えました。短い年月でできるものが安っぽいわけではないですが、やはり積み重ねて出来たものは、貴重に思えるのです。
その年月の間、暑さや寒さに耐えながら、根を張りめぐらせ、幹を太くして葉っぱを生い茂らせていたことを知らずにいました。なんだか申し訳ない気持ちになりました。
でも、今回はなにも知らずに枝を切ったのですが、全く切らなくてもダメなんです。長くなりすぎた枝や、あまり意味のない方向に伸びた枝は定期的に切って手入れするほうが、より良い実りを得られます。
木にとって必要なもの。
木にとって必要以上のもの。
それを選別して手入れしていくことで、次の年には、より良い実りがあることを目に見て勉強になりました。
さらに思えば、
人にとって必要なもの。
人にとって必要以上のもの。
ゆずの木を通して思うことがありました。
この木は僕が産まれる前後か、もしくはそのもっと前からそこにあった可能性があります。その頃は、今ぼくが住むことになるとは誰も知るよしもなかったはずです。そんな木が僕に、ゆずを与えてくれました。今は一人ぐらしなので、独り占めもできます。
僕に必要なのは、ゆずの実を手に入れることでは無かった気がしました。僕にとって必要以上のモノであるのは、間違いありません。必要以上のモノを身に付けすぎると、かえって必要なモノが身に付かなくなることもあります。
この、ゆずの実をより生かすことはできないかと考えて、会社のおばちゃんたちに相談してみました。そしたら、おせち料理に使う!と言ってくれました。このゆずが、会社が売り出すおせち全部に入ることになったのです。感謝、感激です。
そして先日、おばちゃんたちと一緒にゆずを収穫しました。おしゃべりしながら、ワイワイ楽しく。この実はしぼるほうが良さそうやなとか、これは風呂に入れたらいいわとか、教えてもらいました。おせち用以外にも、手伝ってくれたお礼におすそ分け。ついでに庭に咲く花も(笑)
ここにはお金の動きは全くありませんでしたが、なんとも、ゆたかな気持ちになりました。ただただ、嬉しい気持ちのみが残りました。しあわせです。
そんな経験を積み重ねていきたいし、
伝えていきたいと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
他にも梅とキウイもあります。
もし機会があったら一緒に収穫しましょう(^^)/
梅はすでに小さなつぼみが!
◎ハイライト
こちらは家族におすそわけ。
たまには声を大にして言う!
声が大きいほうです。物理的に。
物理的?(笑)音量的に?(笑)
昨日は社内のとある部署の忘年会に参加しました。そこには人が少ないときや忙しい時間にヘルプに行くぐらいなのですが、是非とお誘いいただきました。社内でもトップクラスに個性豊かで、トラブルメーカーとか目が死にかけている人とかが何人もいるような部署なんですが、忘年会の出席率は高いし、何より楽しい。
そんな個性豊かな仲間たちとの忘年会。
段取りがめちゃくちゃ良いわけでもないし、割とバラバラに動いて準備したり。でも、いざ乾杯すると、その時点でみんなワクワクした顔をしています。乾杯が終わればとにかく食べる、飲む。リーダー曰く、どんどん食べ散らかして!と。(笑)
普段はぶつかり合いながら、文句を言いながら仕事をしている人たち(偏見)なんですが、楽しむときは一緒にしっかり楽しむ。普段は言ってるはずの(偏見)、愚痴や文句は無く、説教もほとんどない。そして、みんな満足そうな顔で帰っていきます。
特になにがというわけではなく、ただただ楽しかった。何がってしいて言うなら、大きい声が出せたこと。(笑)
大声でしゃべって、大声で笑って。
忘年会とか飲み会って、愚痴とか文句とかイメージある人もいるかもしれないんですけど、きっとそればっかりだったら、そのうち誰かが疲れていってしまう。言ってる側も聞いてる側も。勿論そういう会があるのも大事。
ただ、愚痴や文句は言うだけで解決することは少ないし、飲み会の勢いに任せて言うとトラブルになることもある。
中身はないけど、他愛もない話でお互い楽しんで、大きな声で話して笑ってってだけの飲み会って、案外スッキリするし有意義なんじゃないかなーと思いまして。
僕はなんだかスッキリしたし、たまには声を大にして話したり笑ったりするのも、ストレス解消につながっていいなあと◎
そういうどうでもいいっちゃどうでもいいことで、
ちょっと考えれば、一見当たり前のようなことが、
人を楽にしてくれるかもしれないなぁと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
◎先日のハイライト
高価でないビールも、楽しい思い出が詰まっていれば、嬉しく美味しくなります。