必要なもの。必要以上のもの。
いよいよ本格派に寒くなってきましたね!
冬です!
街ゆくみんなも寒そう!
ぼくの住む地域も雪がチラつく日がありました。
そんな寒い時期が旬のお話。
今ぼくが住んでいる家の庭に、ゆずの木があります。引っ越してきてすぐの5月は生い茂りすぎて、ゆずだと知らずバッサリ枝を切ってしまっていました。その年の冬に、ご近所さんが「あそこはゆずが成るねんでー。」と教えてもらって初めて知りました。でも、切りすぎたが故に、全然成りませんでした。必要な枝をバッサリ切っていました。
それから逆になにもせず、二年が経った今年。見事にたくさんのゆずが成りました。
(写真は横向きになっています。失敗。)
ゆずの木って、何年で実を付けるか知っていますか?かの有名な「桃栗三年柿八年」という言葉は知っていました。柿は八年もかかるんですね。今23歳の人が31歳になる頃にやっと実がつく計算(わかりにくい)。
そして、この言葉には続きがあります。
「桃栗三年柿八年、ゆずの大馬鹿十八年」
ゆずは十八年です。今23歳の人が41歳になる頃に実がつく計算になります。それだけの年月をかけて育っているのを知ると、すごく尊く見えました。短い年月でできるものが安っぽいわけではないですが、やはり積み重ねて出来たものは、貴重に思えるのです。
その年月の間、暑さや寒さに耐えながら、根を張りめぐらせ、幹を太くして葉っぱを生い茂らせていたことを知らずにいました。なんだか申し訳ない気持ちになりました。
でも、今回はなにも知らずに枝を切ったのですが、全く切らなくてもダメなんです。長くなりすぎた枝や、あまり意味のない方向に伸びた枝は定期的に切って手入れするほうが、より良い実りを得られます。
木にとって必要なもの。
木にとって必要以上のもの。
それを選別して手入れしていくことで、次の年には、より良い実りがあることを目に見て勉強になりました。
さらに思えば、
人にとって必要なもの。
人にとって必要以上のもの。
ゆずの木を通して思うことがありました。
この木は僕が産まれる前後か、もしくはそのもっと前からそこにあった可能性があります。その頃は、今ぼくが住むことになるとは誰も知るよしもなかったはずです。そんな木が僕に、ゆずを与えてくれました。今は一人ぐらしなので、独り占めもできます。
僕に必要なのは、ゆずの実を手に入れることでは無かった気がしました。僕にとって必要以上のモノであるのは、間違いありません。必要以上のモノを身に付けすぎると、かえって必要なモノが身に付かなくなることもあります。
この、ゆずの実をより生かすことはできないかと考えて、会社のおばちゃんたちに相談してみました。そしたら、おせち料理に使う!と言ってくれました。このゆずが、会社が売り出すおせち全部に入ることになったのです。感謝、感激です。
そして先日、おばちゃんたちと一緒にゆずを収穫しました。おしゃべりしながら、ワイワイ楽しく。この実はしぼるほうが良さそうやなとか、これは風呂に入れたらいいわとか、教えてもらいました。おせち用以外にも、手伝ってくれたお礼におすそ分け。ついでに庭に咲く花も(笑)
ここにはお金の動きは全くありませんでしたが、なんとも、ゆたかな気持ちになりました。ただただ、嬉しい気持ちのみが残りました。しあわせです。
そんな経験を積み重ねていきたいし、
伝えていきたいと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
他にも梅とキウイもあります。
もし機会があったら一緒に収穫しましょう(^^)/
梅はすでに小さなつぼみが!
◎ハイライト
こちらは家族におすそわけ。